京都の大学院生

とあるしがない大学院生の戯れ言。映画のことを中心に、たまに日常で感じたことを書き留めていく。

本宮泰風主演の任侠映画 仁義絶叫

仁義絶叫というVシネマを2まで視聴した。
主演は本宮泰風だ。本宮泰風といえば、日本統一シリーズで有名であるが、俺もこちらのほうから知ったので、仁義絶叫(1999)の頃の彼の容姿には若干若々しさを感じたものの、やはり本宮泰風という俳優の為せる技なのか、あまり年季といったものを感じさせない風貌である。現在と目に見えた違いはない。
 内容は、主人公のヤクザ京極鉄次が、銀行の不正融資の問題に首を突っ込んだのをきっかけに、属していた大阪の鳴門組や西日本最大の組織侠和会(ヤクザものにはありがちであるが、勿論モデルは山口組である)に追われる立場になるというものだ。不正融資の件で、銀行のバックにいた侠和会から圧力を受けた鳴門組の組長は、京極に100万を渡すだけで良しとしてしまう。不満に思った京極は、逆上して組長を銃撃してしまうのだった。そこから鳴門組と京極の追いかけっこが始まるのである。彼は酷い目に遭うものの、ただでは転ばない。騙し騙し、他人を利用しては組織間を引っ掻き回していく。
 京極は時に身勝手に見える。女の子を人質にして追っ手から逃れようとしたり、保護してくれた看護婦をレイプしたりもするのだ(ご都合主義でその後は恋愛関係に発展するのだが)。しかし、女の子には約束通りプレイステーションをプレゼントする程度の良識は持ち合わせている。それがまた、彼の話す関西弁と相まって、妙に心地よいのである。
 ヤクザというと、義理人情に厚いイメージがまず浮かぶ。京極がそうだ。それはメディアが作り上げた安易なイメージでもある。決して現実に犯罪を犯している暴力団とごちゃ混ぜにしてはいけないだろう。だが映画に出てくる全てのヤクザが決まって義理人情に厚いかといえばそうではない。悪い奴もいる。任侠道の風上にも置けない奴もいる。そして主人公のヤクザは大概が一人になる。多数派に立ち向かう少数派である。残虐性を持って現れる革新的な価値観に対して、常に守るべきルールを思い出させてくれる伝統的な存在なのだ。だからヤクザは法律や条例で絶滅危惧種になりつつある昨今でも、映画の中ではヒーローになり得るのだろう。だから俺はヤクザを愛している。だから俺はVシネマを見続ける。
 仁義絶叫2のラストで、京極は東京の新宿に向かう意志を固めた。3からは関東篇だろうか。これからの彼の活躍が楽しみである。f:id:zingizekkyou:20191102024228j:plain