京都の大学院生

とあるしがない大学院生の戯れ言。映画のことを中心に、たまに日常で感じたことを書き留めていく。

修士論文が辛い

修士論文が辛い

修士論文が上手くいかない

ああああああああああ

言い訳をするため、自分と同じような境遇に置かれている大学院生を探すため、俺はインターネットの海原へ旅に出た。

修士論文 辛い」と……

どれどれ

あちゃー。理系の院生ばかりが出てくるぞ。

それもそのはず、理系の院生のほうが、文系より遥かに辛いのだ。文系で苦しんでいる私などは、世間で言えば歯牙にもかからないのだ。しかし、感情移入できる相手がいないというのは、大変な孤独である。私はいつだって、辛いとき、悲しいとき、怒るとき、嘲笑するときは、フィクションだか現実のカッコいい人物に感情を当てて、気持ち良くなっていたものだ。小学生から大学生までそうであった。ところが、大学院生になると途端に宙ぶらりんの状態になったような気がする。院生というのは、それほど多くないものだ。しかも、このご時世、大学に行くだけで皆が奨学金でヒイヒイ言っているというのに、あまつさえ親の金で大学院に行かせてもらっている私だ。自然と、以前のように胸を張って往来を闊歩出来るようでは無くなってしまった。石を投げられると分かっていて、修士論文への愚痴を誰が言えようか。
だからこそ、私はこの気持ちをインターネットで供養する。そっと、灯籠流しでもするように、誰にも言えず、この短い文章をはてなブログに放流するしかないのだ。あばよ。「修士論文が辛い」よ。達者でな。「修士論文が辛い」は流れていった。彼方へと、その灯りが小さくなるまで、俺は彼岸で見守っていた。はてなブログには、俺が流した気持ち以外にも、沢山の気持ちが放たれていたのだった。皆、誰にも言えない感情を内に秘めているのである。無数の気持ちたちは、仄かに明るい光を放ちながら、はてなブログを下っていく。それはまるで天の川のように輝くのだ。