京都の大学院生

とあるしがない大学院生の戯れ言。映画のことを中心に、たまに日常で感じたことを書き留めていく。

京都中央卸売市場

深夜の卸売市場にて

 珍しく早起きをした。寝るには目覚めがハッキリしているし、起きているには中途半端な時間だ。俺は前から気になっていた京都中央卸売市場を思いだし、服を着替えて自転車を丹波口まで走らせた。時刻は夜の15時である。
 卸売市場は盛況だった。営業時間なので当たり前であるが、縦横無尽にフォークリフトが駆け回り、俺は牽かれないように絶えず周りを見渡しながら場内を歩いた。鮮魚市場に来ると、魚の生臭さが鼻につく。制服を着た仲卸業者が発泡スチロールに入っている魚を品定めでもするように覗きこんでいる。明らかに部外者然とした雰囲気の俺など、側を通っても誰からも気に止められることはなかった。元々、様々な人間が行き交う空間なのだ。
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 俺は市場をぐるりと回り、自動販売機と休憩のための錆びたベンチが並ぶスペースを見つけると、そこで一服することにした。自動販売機で購入した温かいコーヒーの温度を紙カップから感じながら、俺は今年の夏に大阪の仲卸会社の選考を受けた時のことを思い出した。一緒に受けた大学生たちは、皆水産関係の学部出身で、俺は終始孤独を感じていたのだった。仲卸会社の思い出を一通り反芻すると、今度は昨日大学院で見つけた指導教授の1人のことを思い出した。俺は指導教授から課題としていいつかった教材に目を通さず、彼から大目玉を喰らっていたのだ。以降、後ろめたいものを感じながら大学院に通っていたのだが、教授はそのうち持病が悪化していつの間にか大学院に来なくなっていた。俺の指導は、やりやすい方の副査の教授が担当するようになった。内心、後ろめたい気持ちに悩まされていた俺は、この決定に小躍りしないでもなかったのだが、昨日のプレゼン講義で何と教授は顔を出してきたのである。教授は遅れてきた。挨拶をするタイミングがなかったのが幸いしたが、俺は後輩たちのプレゼンテーション終了までビクビクする羽目になってしまった。教室を出る際、教授が俺のほうをチラと見てきたような気がしてきたが、俺は視線を合わせられなかった。怖かったのである。そのあとメールを送ったがまだ返信は来ていない。

 気付くと紙カップのコーヒーが無くなっていた。休憩スペースのベンチは錆びている。自動販売機も錆びている。隅の方には、チューブが外れて、煤けた色の消火器が転がっている。俺は帰る決心をした。夜の中央卸売市場は活気に満ちていた。業者たちが喫煙コーナーで煙草を吸い、すんでのところでフォークリフトをかわした業者の1人が、乗組員に怒号を浴びせている。ここにいれば真夜中も寂しくないなと、俺は思った。俺は自転車に乗り、ゆっくりと再び沈黙した夜の街へ戻りはじめた。

高校時代の同級生を監視している

高校時代の同級生を監視している

 高校時代の同級生を監視している。彼らのSNSアカウントを特定している。何故監視しているのかというと、高校時代彼らにいじめられていたので、彼らが少しでも不幸になるところが見たいからである。もしくは、私が間接的に彼らに嫌がらせをしてみたい。
 同級生たちは皆が皆、不幸になっているかというとそうでもない。というか、SNSでは大抵の人間はとても良い性格で、幸せそうにみえるから不思議である。実際、そうでもないのだが。以下、同級生たちの現状をまとめてみる。

・いじめの主犯格
 私に嘘をつき、騙した人間。腐りきった逃げ癖は大学生活を経ても抜けきらないのか、就職活動から逃げてバイト先の宅配屋にそのまま就職したようである。この間、周囲の人間への恨みつらみを述べたメッセージをインスタグラムに載せていた。いじめっ子といじめられっ子は実は似た性質を持っていると大学の講義で教わったことがあるが、なるほど、不器用な点は同じなようだ。

・偽善者
 皆の見ている前では大仰に助けてくれるが、それ以外の場所では雑な偽善者。地元の三流不動産屋に就職した。非公開アカウントなので中は覗けないが、彼に送られるリプライから窺うと、この頃は仕事で精神が落ち込んでいるらしい。

・野球部1
 教師になった。学生結婚をしている。彼の赴任した学校では今年事件が起きた。

・野球部2
 社会人になって意識高い系になる。アジアでボランティアをしたいとのたまっている。

・野球部3
 就職して3ヶ月で退職。パチンカー。

・野球部4
 SNSで軽率な発言をしがち。社交辞令とはいえ、自分から私を遊びに誘ったのにいざ私が乗り気になると、不安になった心境をmixiで実況しだす。今は広告会社に勤める。何かトラブルがあったのか、主犯格のTwitterをブロックしたらしい。

・野球部5
 何を考えているかわからず、全ての行動が突拍子もない。突然暴言を吐いたかと思えば、次は褒めてくる。ADHDだと思うのだが、スペックがいちいち高いので社会に適応出来ているようだ。体育の授業で私に豪速球の球をぶつけてくる。今は地元のベンチャー企業に入社し、全国を飛び回っている。

・イケメン
 コミュニケーション能力が抜群に優れている。しかし才能を鼻にかけ、狡猾なところがある。高校でも、皆の前で女子のスカートに平気で手を突っ込むなど、権力に満ち溢れていた。現在はパチンカーになっている。先日に同じ大学に通っている人間をTwitterで晒し上げているところを見た。私も数年前のいじめを引きずっているのでアレだが、全く性格が変わっていないので驚いてしまった。

・サッカー部
 高校の忘年会で私が他の人間と喧嘩しているとき、「そんなにつまらない顔してるなら帰っていいよ」と横槍をいれてきたことがある。ちなみにその後本当に帰ったのだが、帰る際、「ごめんね。一緒に帰ってあげられなくて。」と言ってきた。ワンピースが大好き。東京の会社に就職したが、あまりツイートしないため不明。調べたら兄貴の家と同じ最寄り駅周辺に住んでて鼻水出るほどビビった。

・サッカー部2
 頭が良く、嫌味がいちいち刺さってくる。地元の有名大学に進学していた。

・サッカー部3
 噂好き。野次馬。こいつだけは許せない。キョロ充なので、Twitterの使い方が慎重。非公開アカウントである。

・陸上部
 「人生楽しんだもん勝ち」とプロフィールに書いてある。選民思想が強く、「陰キャを気にかけることさえダサい」、というような態度で、私などは必要な時以外透明人間のような扱いを受けていた。地元の信用金庫に務める。

・放送部
 消息不明。

・女子A
 妊娠して学生結婚。

・女子B
 素性は詳しくは知らないのだが、私が馬鹿にされている様子をTwitterリツイートしていて、何だコイツと思ったことがある。外国が好きで、日本が嫌い。つまり、ポリコレ信者である。しかし英語ができない。大学受験のときに私の入学する大学を志望に入れていたので凄く不安になったのだが、どうやら落ちたらしく、地元の大学に落ち着いた。良かった。

・テニス部
 大阪の大学に通っている。幼馴染みで何度も遊んだことがあるのに、私の前で「この人とは友達じゃない。小さい頃から一緒なだけ。」と宣言してきた。リア充に対するコンプレックスが強い。

・美術部
 イラストが下手なのに何故かクラス内での「博士」みたいな地位を確保していた。現在Twitterのアカウントをみても、全く技術やデッサンに進歩がみられない。母親との確執があるらしく、たまに愚痴をツイートする。

帰宅部
 帰宅部なのに下ネタで運動部並みの地位を確保していた男。ちなみに私の高校は、運動部>陰キャカーストが強固である。東京の有名国立大学に進学する。今では映画や芸術に造詣が深くなっている。思えば素直なところがあった(こういった所も認めて指摘していかねば、いじめっ子の二の舞なのだと思う💢)。

~おまけ~

・クソ教師
 荒れた高校に転任したようだ。ウケる。



以上。まとめてみた。もっと許せないやつらもいるのだが、SNSで見当たらない人間もいる。彼らは割愛した。こうしてみると、幸せになったり不幸になったりは本当に人それぞれだが、いじめっ子たちであっても、社会に出てはじめて素直に何かを吸収していこうとする人物が多くなったように思える。以前と比べ、好奇心を積極的に出しているのだ。やはり、学校のような閉鎖的な空間での価値基準と、それら狭い価値観から解放された大学や社会では、ダサさ/カッコよさの物差しが違うということだろうか。やや単純化しすぎるきらいもあるが、要するに年齢毎のトレンドというやつなのだと思う。俺は今でも彼らが嫌いだし、何か機会があったら復讐してやろうぐらいには考えているが、負けずに勉強はしていこうと思う。俺には俺の武器があるのだから。来年から俺も社会に出るのだ。頑張りたい。

スーパーのイートインにて

 一昨日、イズミヤのイートインで電話をかけている男がいた。深夜である。この時間帯のイートインは、ホームレス、奇声を挙げる女、時間を持て余す外国人観光客の集団など、さながら難民キャンプのような様相を呈している。ボロボロのコートを羽織ながら、いつもコーヒー一杯でそこに粘っている私も、ご多分に漏れずその難民キャンプの一員なのだが、電話の男も例外ではなかった。Iの字に並ぶイートインで、男は私の2つ隣の席に腰かけていた。電話越しの声がよく聴こえてくる。
 眼鏡をかけ、色褪せたニット帽を被っている。処理しきれていない無精髭が、男の何とも言えない社会性を表しているようだった。口から出るたどたどしい言葉は、男に吃音の気があるのを証明している。男は話続ける。「わ、わ、わ、私はじょじょ女性が苦手なんです。ここここ今度女性がレジにいたら、代わってもらえますか」男はどうやらパニック障害を抱えていて、女性と相対すると発作が起こってしまうらしかった。ここ数日で服飾店を訪れた際、レジに女性がいたので代わってもらうよう同じく店内にいた男性スタッフに声をかけたところ、心無い対応をされたというのだ。電話越しからは、スタッフのめんどくさそうな応対が、声の調子で伝わってきた。「べべべ別にシフトを合わせろと言っているわけじゃない。対応してほしいと言っているわけ」男は何度も何度も懇願するように繰り返す。
 私は読書をしていたのだが、途中から、本を閉じてスマートフォンを開いた。目の前で起きているこの珍しい光景を、是非とも言語化してTwitterのフォロワーに伝えようと思ったのだ。私はとても淋しい人間なので、インターネットには顔の知らない仲間たちが何千人もいる。時々、友達がおらず誰にも共有できないこういった些細な光景をインターネットに投稿し、密やかに欲求を満たすのが楽しみなのである。
 しかし、私は文字を打つ手を止めてしまった。目の前にいるこの男は、果たしてTwitterでネタに出来るほどの異常者なのだろうか?その証拠に、「シフトを代わってもらうまではしなくていい」と、男はおよそ異常者らしくない気遣いをしているではないか。彼と電話越しのスタッフは、少々の押し問答をした後、店側が「次からは気をつける」と約束することで合意した。男は電話を切ってため息をこぼし、一言なにやら小声でボソボソ呟いたあと(周りには私しかいないはずである。反応してもらいたかったのだろうか?)、荷物をまとめてイートインから出ていってしまった。私は何故だか再び本を開くのが億劫になっていた。
 Twitterには結局このエピソードを投稿した。「イートインに異常者がいた。」ではなく、「イートインで電話で押し問答していた吃音の男がいたが、何とも言えない気持ちになった」と、書いておいた。ツイートはあまりウケなかった。何とも言えないから、だから何なのだ。という見る者の感想だったのだろう。けれども本当に何とも言えなかったのだ。
 私にも吃音の気がある。だからこそ男の悔しさには共感が出来た、というのもあるが、これらをTwitterでネタにしようとする自分という構図に、幾分の気持ち悪さを感じてしまったことは否めない。男は自分自身であり、それを笑うことはかつての自分を笑うことと同じなのだ。
 だから何だというのだろう。ただの自己満か。そうだ。ただの自己満足だ。私は独りごちた。ボロボロのコートで、加えてあまり容姿の良いとは言えない私の周りには大抵人が座らない。私は明日もここで本を読む。一杯96円のコーヒーを購入して、ここで座る。明後日も。明明後日も。

修士論文が辛い

修士論文が辛い

修士論文が上手くいかない

ああああああああああ

言い訳をするため、自分と同じような境遇に置かれている大学院生を探すため、俺はインターネットの海原へ旅に出た。

修士論文 辛い」と……

どれどれ

あちゃー。理系の院生ばかりが出てくるぞ。

それもそのはず、理系の院生のほうが、文系より遥かに辛いのだ。文系で苦しんでいる私などは、世間で言えば歯牙にもかからないのだ。しかし、感情移入できる相手がいないというのは、大変な孤独である。私はいつだって、辛いとき、悲しいとき、怒るとき、嘲笑するときは、フィクションだか現実のカッコいい人物に感情を当てて、気持ち良くなっていたものだ。小学生から大学生までそうであった。ところが、大学院生になると途端に宙ぶらりんの状態になったような気がする。院生というのは、それほど多くないものだ。しかも、このご時世、大学に行くだけで皆が奨学金でヒイヒイ言っているというのに、あまつさえ親の金で大学院に行かせてもらっている私だ。自然と、以前のように胸を張って往来を闊歩出来るようでは無くなってしまった。石を投げられると分かっていて、修士論文への愚痴を誰が言えようか。
だからこそ、私はこの気持ちをインターネットで供養する。そっと、灯籠流しでもするように、誰にも言えず、この短い文章をはてなブログに放流するしかないのだ。あばよ。「修士論文が辛い」よ。達者でな。「修士論文が辛い」は流れていった。彼方へと、その灯りが小さくなるまで、俺は彼岸で見守っていた。はてなブログには、俺が流した気持ち以外にも、沢山の気持ちが放たれていたのだった。皆、誰にも言えない感情を内に秘めているのである。無数の気持ちたちは、仄かに明るい光を放ちながら、はてなブログを下っていく。それはまるで天の川のように輝くのだ。

ギャング・コネクション

ギャング・コネクション(2010)

松方弘樹主演

刑務所から出所したヤクザ・日向(松方弘樹)が当たり屋のホームレス、美女経営コンサルタント、元競輪選手の情報屋とともに、政治家の取引から3億円を強奪しようとするストーリー。まあまあ面白かったが、後半の「完結編」(Vシネマはだいたい連続巻ものなのだが、そんなに人気がないと2巻目でいきなり完結編になる)になると、日向とその舎弟分・黒崎のコンビばかりが集中され、ホームレスや競輪選手の影は薄くなってしまった。結局、主要人物は誰1人死なずにハッピーエンドに終わるので良かった。しかしAmazonではレビューのひとつもついてないところを見ると、やはりこれもVシネマなのだろうなとしみじみと感じる。彼らのあっけらかんとした活躍は、誰1人としてAmazonのレビューがつけられないほど世間から認知されていないのだ。大量の文化が押し寄せる歩行者天国で、無惨にも踏みにじられ、歩道の真ん中で捨て置かれたチラシのような趣がある。そう考えると少し切ない。そういえば私はその昔、週刊少年ジャンプの打ちきり漫画を集めるのにハマっていたことがあるから、同じように判官贔屓としてVシネマに牽かれるのかもしれない。
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なんやかんやでギャングコネクション、おすすむだぜ

自称進学校の高校時代 part1 教師

学校にいる良い先生と悪い先生について

 高校時代のことをふと思い出した。
 高校には体育教師で生活指導も兼ねているA先生と、英語の教師で怒っても怖いB先生がいた。A先生は生徒から恐れられていて、また生活指導をしなければならないぶん嫌われもしたが、B先生はとても好かれていた。
 高校生とは移り気な生き物である。私の小学生からの幼なじみであるKくんは高校1年の時は「A先生は実は好い人だよね。B先生はうっとおしい。」と私に話していたが、2年になると「B先生は好い人だよね。A先生は本当に嫌な人だ」と話すのだった。何のことはない。俺はKくんを昔からよく知っているから分かるが(そして俺は彼がとても嫌いだった)、Kくんの周囲の色合いが変わっただけなのだ。Kくんはカメレオンであるから、周りの意見に合わせているだけなのだ。
 唯一の身近な審判である生徒がこんな調子なので、先生もたまったものではないだろう。俺は時々先生という生き物を哀れにすら感じる。移り気なクソガキたちから常に評価され、そして教育のフィードバックが得られることはなく、自分のやってきたことが正しいのか正しくないのか判然としないまま、世間から石を投げ続けられる。A先生よ!俺は先生の味方です!
 A先生はまた、隣のクラスの中田と谷村を目の敵にしていた。彼らはKくんとも仲が良いのだ。俺は彼らにいじめられていたから、彼らの悪行はよく覚えている。中田は冗談混じりで女子の股間に手を入れたり、谷村はSNSで嫌われものをつるし上げるような奴なのだった。B先生はそんな彼らをA先生からよく庇った。B先生は今でも良い先生だと、悪ガキ連中からTwitterなど思い出話の中で語り草にされる。しかし、彼らはまだTwitterなどで他人をからかったりしているのだから、ここではA先生の見識が正しかったことになる。だが、彼のことは誰も思い出さないのだった。
 教育とは、10年後、20年後を見すえるべきものだろう。高校卒業して、「楽しい高校生活だったね、チャンチャン」で終わっては元も子もないのである。俺はこの高校が大嫌いであった。欺瞞が校内に満ちていた。皆が皆、「たのしい高校生活」を送るために、自分たちの仲間内だけをインスタグラムでキラキラにトリミング加工し、隅っこに追いやった陰キャラの存在など目にもくれないからである。感傷とは、時にとても傲慢でさえあると、この時俺は強く感じたのだ。B先生は、生徒の加工するインスタグラムの写真の中には登場出来たのかもしれない。だが、A先生はどうだろうか。先生こそ、もっと評価されるべきです。私はクラスも授業も被ったことがなく、一言も話したことがありませんが、密かに先生のことを応援してました。先生、この世の中は理不尽が多いね。それでも生きていくしかないね。

デスノートとボクノートの名前が似ている件について

今僕の中にある言葉の欠片 喉の奥鋭く尖って突き刺さる
綺麗じゃなくたって少しずつだって良いんだ この思いをただ形にするんだ

スキマスイッチボクノートは、小学生の音楽の授業で歌う機会があった。今考えると随分ルーズな小学校である。兄貴のいた別の小学校では、とても考えられないことで、お硬い曲でなければ歌うことは許されなかったというのだ。しかし、私はそれらの恩恵を特に肌で感じることはなく、定期的にやってくるこの音楽の授業をただやり過ごしたい気持ちで対応していたように思う。ところがそこは不思議なもので、今も軽く口ずさめるくらいであるのだから、少年時代の記憶とは偉大なものだ。
 ボクノート、私ははじめにこの歌詞をみたとき、当時流行っていたデスノートの主題歌なのだと思った。名前が似ていたし、まず曲調がとても切ないのである。私はデスノートという漫画の設定だけは何となく、名前を書いたら名前の人物が死んでしまうのだと、その程度にはどこかで聞き齧っていた。恐らく、デスノートの主人公は「考えて書いてつまずいて消したら元通り。十二時間経って並べたものは紙クズだった」の言葉通り、デスノートに人の名前を書くことに良心の呵責を感じ、幾つもの書き損じた紙片を並べ立て、「今僕の中にある言葉の欠片 喉の奥鋭く尖って突き刺さる」は殺してしまったことへの罪悪感に苦しんでいる最中なのだろう、と私は1人早合点していた。デスノート、それは1人の思春期の少年の「積もり積もる感情が膨れてゆき」そして家族にも誰にも「吐き出すことも出来ずに」苦しむ贖罪の物語なのだ。そしてそれは「綺麗じゃなくたって」いい。「少しずつだって」良いのだ。私は切なさで胸が締め付けられるようだった。スキマスイッチの儚いメロディがそれを煽り立てるのである。
 ところがである。実際のデスノートはそれほど良心的なものではないのであった。夜神月は最後まで悪を貫いていたし、しかもとても醜く幕を閉じていたのだ。さらにボクノートドラえもんの主題歌だったのである。私の早合点は完全に妄想だったのだ。
ふと振り返ると、なんと馬鹿げたエピソードだろう。しかし、実際に私が音楽の授業で合唱台の冷たさを靴下で踏みしめながら感じた、想像上のデスノートの切なさは果たして幻想だったのだろうか。私はもしかしたらこちらのほうが本物のデスノートより面白いのではないかと思っている。今も密かに思っている。