京都の大学院生

とあるしがない大学院生の戯れ言。映画のことを中心に、たまに日常で感じたことを書き留めていく。

自称進学校の高校時代 part1 教師

学校にいる良い先生と悪い先生について

 高校時代のことをふと思い出した。
 高校には体育教師で生活指導も兼ねているA先生と、英語の教師で怒っても怖いB先生がいた。A先生は生徒から恐れられていて、また生活指導をしなければならないぶん嫌われもしたが、B先生はとても好かれていた。
 高校生とは移り気な生き物である。私の小学生からの幼なじみであるKくんは高校1年の時は「A先生は実は好い人だよね。B先生はうっとおしい。」と私に話していたが、2年になると「B先生は好い人だよね。A先生は本当に嫌な人だ」と話すのだった。何のことはない。俺はKくんを昔からよく知っているから分かるが(そして俺は彼がとても嫌いだった)、Kくんの周囲の色合いが変わっただけなのだ。Kくんはカメレオンであるから、周りの意見に合わせているだけなのだ。
 唯一の身近な審判である生徒がこんな調子なので、先生もたまったものではないだろう。俺は時々先生という生き物を哀れにすら感じる。移り気なクソガキたちから常に評価され、そして教育のフィードバックが得られることはなく、自分のやってきたことが正しいのか正しくないのか判然としないまま、世間から石を投げ続けられる。A先生よ!俺は先生の味方です!
 A先生はまた、隣のクラスの中田と谷村を目の敵にしていた。彼らはKくんとも仲が良いのだ。俺は彼らにいじめられていたから、彼らの悪行はよく覚えている。中田は冗談混じりで女子の股間に手を入れたり、谷村はSNSで嫌われものをつるし上げるような奴なのだった。B先生はそんな彼らをA先生からよく庇った。B先生は今でも良い先生だと、悪ガキ連中からTwitterなど思い出話の中で語り草にされる。しかし、彼らはまだTwitterなどで他人をからかったりしているのだから、ここではA先生の見識が正しかったことになる。だが、彼のことは誰も思い出さないのだった。
 教育とは、10年後、20年後を見すえるべきものだろう。高校卒業して、「楽しい高校生活だったね、チャンチャン」で終わっては元も子もないのである。俺はこの高校が大嫌いであった。欺瞞が校内に満ちていた。皆が皆、「たのしい高校生活」を送るために、自分たちの仲間内だけをインスタグラムでキラキラにトリミング加工し、隅っこに追いやった陰キャラの存在など目にもくれないからである。感傷とは、時にとても傲慢でさえあると、この時俺は強く感じたのだ。B先生は、生徒の加工するインスタグラムの写真の中には登場出来たのかもしれない。だが、A先生はどうだろうか。先生こそ、もっと評価されるべきです。私はクラスも授業も被ったことがなく、一言も話したことがありませんが、密かに先生のことを応援してました。先生、この世の中は理不尽が多いね。それでも生きていくしかないね。