京都の大学院生

とあるしがない大学院生の戯れ言。映画のことを中心に、たまに日常で感じたことを書き留めていく。

スーパーのイートインにて

 一昨日、イズミヤのイートインで電話をかけている男がいた。深夜である。この時間帯のイートインは、ホームレス、奇声を挙げる女、時間を持て余す外国人観光客の集団など、さながら難民キャンプのような様相を呈している。ボロボロのコートを羽織ながら、いつもコーヒー一杯でそこに粘っている私も、ご多分に漏れずその難民キャンプの一員なのだが、電話の男も例外ではなかった。Iの字に並ぶイートインで、男は私の2つ隣の席に腰かけていた。電話越しの声がよく聴こえてくる。
 眼鏡をかけ、色褪せたニット帽を被っている。処理しきれていない無精髭が、男の何とも言えない社会性を表しているようだった。口から出るたどたどしい言葉は、男に吃音の気があるのを証明している。男は話続ける。「わ、わ、わ、私はじょじょ女性が苦手なんです。ここここ今度女性がレジにいたら、代わってもらえますか」男はどうやらパニック障害を抱えていて、女性と相対すると発作が起こってしまうらしかった。ここ数日で服飾店を訪れた際、レジに女性がいたので代わってもらうよう同じく店内にいた男性スタッフに声をかけたところ、心無い対応をされたというのだ。電話越しからは、スタッフのめんどくさそうな応対が、声の調子で伝わってきた。「べべべ別にシフトを合わせろと言っているわけじゃない。対応してほしいと言っているわけ」男は何度も何度も懇願するように繰り返す。
 私は読書をしていたのだが、途中から、本を閉じてスマートフォンを開いた。目の前で起きているこの珍しい光景を、是非とも言語化してTwitterのフォロワーに伝えようと思ったのだ。私はとても淋しい人間なので、インターネットには顔の知らない仲間たちが何千人もいる。時々、友達がおらず誰にも共有できないこういった些細な光景をインターネットに投稿し、密やかに欲求を満たすのが楽しみなのである。
 しかし、私は文字を打つ手を止めてしまった。目の前にいるこの男は、果たしてTwitterでネタに出来るほどの異常者なのだろうか?その証拠に、「シフトを代わってもらうまではしなくていい」と、男はおよそ異常者らしくない気遣いをしているではないか。彼と電話越しのスタッフは、少々の押し問答をした後、店側が「次からは気をつける」と約束することで合意した。男は電話を切ってため息をこぼし、一言なにやら小声でボソボソ呟いたあと(周りには私しかいないはずである。反応してもらいたかったのだろうか?)、荷物をまとめてイートインから出ていってしまった。私は何故だか再び本を開くのが億劫になっていた。
 Twitterには結局このエピソードを投稿した。「イートインに異常者がいた。」ではなく、「イートインで電話で押し問答していた吃音の男がいたが、何とも言えない気持ちになった」と、書いておいた。ツイートはあまりウケなかった。何とも言えないから、だから何なのだ。という見る者の感想だったのだろう。けれども本当に何とも言えなかったのだ。
 私にも吃音の気がある。だからこそ男の悔しさには共感が出来た、というのもあるが、これらをTwitterでネタにしようとする自分という構図に、幾分の気持ち悪さを感じてしまったことは否めない。男は自分自身であり、それを笑うことはかつての自分を笑うことと同じなのだ。
 だから何だというのだろう。ただの自己満か。そうだ。ただの自己満足だ。私は独りごちた。ボロボロのコートで、加えてあまり容姿の良いとは言えない私の周りには大抵人が座らない。私は明日もここで本を読む。一杯96円のコーヒーを購入して、ここで座る。明後日も。明明後日も。