京都の大学院生

とあるしがない大学院生の戯れ言。映画のことを中心に、たまに日常で感じたことを書き留めていく。

マイナーなやくざ映画 しあわせになろうね 極道解散

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しあわせになろうね 極道解散(1998)

たまたまYouTubeにアップロードされていたので「しあわせになろうね 極道解散」を見た。谷岡雅樹Vシネマ魂」の中でやけに褒められていたので、いつしか観てみたいと思っていたのだ。ところがそこはVシネマ、なかなか今のご時世でDVDがレンタル店にあるわけでもなく、なかば諦めていたところだったのである。この巡り合わせは行幸というべきか。upしてくれた人には感謝せねばなるまい。

 翌日に解散を控えた山守組。組長はホステス出身の妻とヨーロッパでハネムーンを。主人公の京介(哀川翔)は結婚を。幹部の木内は故郷に帰って親孝行を。同じく幹部の大滝はそれぞれまた別の組へと。皆は思い思いの夢を描いていた。ところが、手打ちをしたはずの笹島組の組長が射殺されるというニュースが入ってくる。間髪いれずに、組員の1人であるヒロシから電話がかかってきて、「山守組は永久に不滅です」という謎の言葉を残していく。不安に駈られる組員たち。笹島組の組長を殺害したのはヒロシなのか。そもそも殺害したとして、翌日の解散式はどうなるのか。組員たちは不安に駈られ、それぞれの義理人情と夢を天秤にかけながら、狭い事務所の中で奔走していく…。
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良い映画であった。映画が上映された1998年の頃には既に暴力団対策法は施行されていたから、シノギが削られて割りに合わないヤクザ、という設定は時代の流れに沿ったものだったのだろう。ヤクザたちは各々が組が解散したあとの幸せを描く。しかし、思わぬトラブルでそれらが叶わぬ夢となってしまうのだ。抗争を続けたいもの。早く解散してカタギになりたいもの。「おれたちはただ幸せになりたいんだ!」最後のシーンでの組長の叫びは、そのまま映画のタイトルにも繋がっていくのである。私は昔からハッピーエンドが好きだ。暗い映画も確かに良いのだが、やはり登場人物全員が幸せになるのに越したことはない。それにしても、ヤクザモノのジャンルは奥が広い。三池崇史監督では「極道恐怖劇場 GOZU」「フルメタル極道」、オールインエンタテイメントでは「二代目はニューハーフ」「極道甲子園」なんてものもある。この「しあわせになろうね 極道解散」もそうだが、正反対の属性のものと絡めると、不思議とヤクザは相性が良く馴染むようである。だからこそ、暴対法や暴排条例で実在のヤクザが瀕死に至った今になっても、フィクションで彼らは不滅であり続けるのだろう。

裏天満の居酒屋のあと

 大阪の天満を散策していた時のことだ。
その時、私は匂い立つ熱気に釣られて、ついつい裏天満の居酒屋で一杯ひっかけてきたところであった。ほろ酔いの頭に、天満のネオンが心地よく映る。色めき立つ雑踏。客引きの声。それら全てを全方位から受け止めていると、自分は確かにここに存在しているのだと、私はいつも手応えを感じるのであった。
 路地裏を歩いていると、2人連れのカップルが向こうからやってくる。男のほうは、もう覚えていないのであるが、女の子のほうはとても端正な顔立ちをしていたのだった。女の子は突然男の方を振り向く。そしてケラケラ笑いながら両手を掲げてポーズを取った。どうやら、少し酔っているらしい。男はそれを笑いながら、スマートフォンを構えた。カメラモードに移行したのだ。女の容貌の美しさから、恐らくこの写真は、インスタグラムなどに投稿され、美しく妖しく加工されるに違いない、と私は直感した。反射的に、スマートフォンのカメラに映らないように、横の道にすぐさま方向転換した。背後で、シャッター音が鳴る。彼らの音が遠のいていく。
 私は、色々と先ほどの出来事を反芻した。女は美しかった。女の美しい世界に、私のような醜い人間が映ってはいけないのだ。私の行動は正しかった。良いことをしたのだ。そして、腹の底から淋しさが沸き起こってきた。まるでそれまで酒がその感情に蓋をしていたかのように、アルコールの抜けた意識に鮮明となって現在の自分の孤独が思い出されてくるのである。女は美しかった。女は女王で、同じように美しい仲間たちと一緒に、美しい人生を送っていくのだ。例え醜い人生と蔑まれようが、女の容姿に沿ってまた美しくなるであろう。そしてそれは、私が決して触れられない世界なのである。
 私はいつの間にか、天満の路地裏にある、コンドームの自動販売機の前に立ち尽くしていた。何だか私は、それがそこにあるのがとても面白く感じた。写真を撮ってTwitterに載せる。フォロワーの男から「サガミオリジナルを買え」とリプライが飛んでくる。
 「くそ。ヤリてえな。この野郎。」私は独り言を呟いて、また天満の路地裏へ戻っていった。

Twitterの可愛いアイコンについて

誰も知らない

Twitterが趣味である。
詳しくいうと、Twitterは趣味であっても、現実の知り合いたちと緩やかに繋がるようなアカウントは運営していない。私は知人とは誰とも繋がらず、ひっそりとTwitterのヘビーユーザーが多く集まる辺りのアカウントたちと、日々いいねを交わしあっている。私がそのような世界に入り浸っているということを、周囲の人間は誰も知らない。これはそのような世界で私がひとつ楽しみにしている趣味の話である。
 私は女の子が好きだ。完全に見返りを求められずにセックスが完遂出来れば、なおのこと最高だ。だが実際にそんなことは起こり得ない。私がいくらインターネット上で取り繕っていても、現実の私は私だからである。それはあり得ぬ夢なのだ。そんな私が、最近楽しみにしていることは、フォロワーの可愛いアイコンのオタクっ子たちとリプライを交わすことである。オタクっ子たちは、流行に流されやすく、そしてアニメキャラクターの女の子たちをアイコンに設定するのである。彼らがキャッキャとはしゃぎながら、TLを縦横無尽に駆ける様は、とても可憐だ。オタクはオタクであっても、インターネットであれば、アイコンの女の子たちが姿形となって、口を開くのである。私はそれがたまらなくいとおしいのだ。女に相手にされない私にとって、オタクたちとの会話が慰めになるのにあまり時間はかからなかった。
 「こんにちは。◯◯くん。可愛いアイコンだね」私は挨拶する。「ありがとう✌️」と、彼らは元気よくリプライを返してくれる。彼らは普通にただ会話をしているだけかもしれない。だが、私は…君たちを愛しているのだ。アイコンの美少女が口を開き、微笑み、私に挨拶をする。私は充足感を覚え、本来満たされなかった願望をそれで満たす。私のこのようなささやかな楽しみを、周囲の知人たちは誰も知らない。私も、知人たちのことを何も知らないし、彼ら美少女アイコンのオタクたちが本当はどんな人間で、何故Twitterにいるのか、何も知らない。

任侠映画 ドラゴン

ドラゴン(2010)
製作サテライト
主演 松田一三

オールインエンタテイメントの任侠右翼ロマン。
東京のコリアンタウン。支配勢力が定まらず、アオック団、クロック団、そして朝鮮学校出身者が多く所属するベニック団の三つが互いにシノギを削り合っていた。しかし、そこに関西の唐澤組が進出してきてから、勢力の均衡が崩れはじめる。金原という仲間を殺されたベニック団のニコル(与座重理久)は、自分たちもヤクザの力を借りようとクロック団の大力に紹介を頼むが、狂い始めた運命の歯車は誰にも止められないのだった…。
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主人公はクロック団の大力(松田一三)である。前半はベニック団との協力、唐澤組の進攻、そして後半は匿われた右翼団体黒龍会での精神修行と唐澤組への乗り込みである。決して面白いとはハッキリと言えぬ作品であるが、内田良平という実在の人物の名前が出てきたことと、それに連なる黒龍会の任侠観が興味深かった。私も右翼団体に入ってみようかな、と少し大それたことを考えてしまった。実際、ジムの筋トレで根を上げている私に続くわけはないのであるが、私は昔からこういった広く深く包容力のある「思想」といったものにはとても弱いのである。「伝統」とも言うだろうが、一昔前であるならば、喜んでお国のために死んでいったかもしれない。もともと、あまり柔軟に頭が出来ているほうではない。曲がりなりにも24年の人生を生きてきた私の経験が、そう思わせる。だからこそ、何かのフンワリとしたものに包まれているほうが、何も考えずに安心感を得ることが出来るのだ。伝統とは、そんなものだろう。

本宮泰風主演の任侠映画 仁義絶叫

仁義絶叫というVシネマを2まで視聴した。
主演は本宮泰風だ。本宮泰風といえば、日本統一シリーズで有名であるが、俺もこちらのほうから知ったので、仁義絶叫(1999)の頃の彼の容姿には若干若々しさを感じたものの、やはり本宮泰風という俳優の為せる技なのか、あまり年季といったものを感じさせない風貌である。現在と目に見えた違いはない。
 内容は、主人公のヤクザ京極鉄次が、銀行の不正融資の問題に首を突っ込んだのをきっかけに、属していた大阪の鳴門組や西日本最大の組織侠和会(ヤクザものにはありがちであるが、勿論モデルは山口組である)に追われる立場になるというものだ。不正融資の件で、銀行のバックにいた侠和会から圧力を受けた鳴門組の組長は、京極に100万を渡すだけで良しとしてしまう。不満に思った京極は、逆上して組長を銃撃してしまうのだった。そこから鳴門組と京極の追いかけっこが始まるのである。彼は酷い目に遭うものの、ただでは転ばない。騙し騙し、他人を利用しては組織間を引っ掻き回していく。
 京極は時に身勝手に見える。女の子を人質にして追っ手から逃れようとしたり、保護してくれた看護婦をレイプしたりもするのだ(ご都合主義でその後は恋愛関係に発展するのだが)。しかし、女の子には約束通りプレイステーションをプレゼントする程度の良識は持ち合わせている。それがまた、彼の話す関西弁と相まって、妙に心地よいのである。
 ヤクザというと、義理人情に厚いイメージがまず浮かぶ。京極がそうだ。それはメディアが作り上げた安易なイメージでもある。決して現実に犯罪を犯している暴力団とごちゃ混ぜにしてはいけないだろう。だが映画に出てくる全てのヤクザが決まって義理人情に厚いかといえばそうではない。悪い奴もいる。任侠道の風上にも置けない奴もいる。そして主人公のヤクザは大概が一人になる。多数派に立ち向かう少数派である。残虐性を持って現れる革新的な価値観に対して、常に守るべきルールを思い出させてくれる伝統的な存在なのだ。だからヤクザは法律や条例で絶滅危惧種になりつつある昨今でも、映画の中ではヒーローになり得るのだろう。だから俺はヤクザを愛している。だから俺はVシネマを見続ける。
 仁義絶叫2のラストで、京極は東京の新宿に向かう意志を固めた。3からは関東篇だろうか。これからの彼の活躍が楽しみである。f:id:zingizekkyou:20191102024228j:plain

blogをはじめた

 兄が急に電話をかけてきた。何でも、今は格差が広がっている中、唯一貧民でも下剋上が可能な方法が、個人でのブログなのだという。これから社会に出ていく上で、人はそれぞれ戦えるコンテンツを持つべきなのだと。

 馬鹿馬鹿しいと一笑に付すことも出来たが、兄が副業であるフードブロガーの広告収入で月に10万円も稼いでいるのを目の当たりにしていた俺は、素直に言う事を聞くことにした。そもそも、何事もとりあえずやってみる、が俺のモットーでもある。

 俺がこの幅広いインターネットで自信を持って戦えるコンテンツとは何か。それは自分でもまだよくわからないが、映画が好きだとは胸を張って言える。とにかく何でもいいから発信してみるべきだ。

 鑑賞した映画の備忘録のような使い方でひとまずやってみよう。俺はヤクザが好きなので、挙げる映画にはヤクザものが多い。書いていくうちに、何となく方向性のようなものが定まってくるはずである。